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【判例】信玄公旗掛松事件 を読む

信玄公旗掛松事件  大判大正8.3.3民録25-365

【事実の概要】
⑴ Xは、山梨県北巨摩郡日野春村の所有地に松樹を所有していた。この松樹は、かつて武田信玄が軍旗を掛けて休息したとの言い伝えがある由緒正しい名木として著名であった(もっとも、その後の樹齢鑑定により真実ではないことが判明した)。
⑵ 明治29年、中央線の八王子以西の鉄道敷設工事が開始され、日野春村にも鉄道が通ることになったが、その計画では松樹の付近に線路が敷設されるものであった。実際、この松樹の約4間(約7.2m)の所に本線が、さらに西側約1間(約1.8m)未満の所に回避線が敷設された。
⑶ Xは、ばい煙による松樹の枯死をおそれ、線路位置の変更または相当代価による買収を国Yに申し入れたが、Yは、松樹への影響はないとしてXの申し入れを拒絶した。
⑷ 明治37年に鉄道は開通し、日野春村駅が開業した。本駅は、蒸気機関車の給水駅とされ、機関車が長時間停車されることになり、機関車のばい煙により樹木は弱まり、さらに汽車の脱線事故などにより損傷を受けた結果、大正3年12月に松樹は枯死した。
⑸ そのため、XはYに対し、不法行為に基づく損害賠償を求める訴えを提起した。
⑹ 原審、第1審ともに、ばい煙と松樹枯死の因果関係、Yの過失を認め、Yの損害賠償責任を肯定した。すなわち、煙害予防の方法を施さず、その結果ばい煙によって他人の権利を侵害したときは、その行為は法律によって認められた範囲内での権利行使とは言い難く、権利の濫用として違法な行為にあたるとした。
⑺ Yが上告。上告理由として、当時の一般通念からは一般運送経営者に煙害予防のための施設を施すことは不能を強いるものであってYに過失はないこと、Yは汽車運転の性質上・慣習上容認された通常の方法に従って運転していたにすぎないのであるから違法性はないと主張した。

【判旨】(現代仮名遣いに改めるなど適宜修正・注記を加えています)
上告棄却。

権利の行使といえども法律において認められた適当な範囲内においてこれをなすことを要するものであり、権利を行使する場合において故意又は過失によりその適当な範囲を超越し失当な方法を行ったため、他人の権利を侵害したときは侵害の程度において不法行為が成立することは当院(大審院判例が認めるところである(参照判例省略)。そうであるならば、その適当な範囲とはどのようなものか。およそ社会的共同生活をなす者の間においては、一人の行為が他人の不利益を及ぼすことがあることは免れないところであり、この場合において常に権利の侵害あるものとなすべきではない。その他人は共同生活の必要上これを認容せねばならない。しかしながら、その行為が社会観念上被害者において認容すべきではないと一般に認められる程度を超えたときは権利行使の適当な範囲にあるということはできないのであるから、不法行為となるものと解するを相当とする。……原院(原審)の認めた事実によれば、本件松樹は、停車場に接近し鉄道線路より僅かに一間(約1.8m)未満の地点に生立し、その枝条は線路の方向に張り、常に機関車の多大なばい煙に曝露されたため枯死の害を被ったものであり、そのばい煙を防ぐべき設備をなし得ないことはないことは第一点(この部分は省略)に説示したとおりであって、Yの鉄道路線の至る所に散在する樹木が普通の機関車より吐出するばい煙の害を被ることと同一に論ずることはできない。すなわち、本件松樹は鉄鉄道沿線に散在する樹木よりも甚だしくばい煙の害を被るべき位置にあって、かつその害を予防すべき方法がないわけではないのであるから、Yがばい煙予防の方法を施さずに煙害の生ずるに任せて、その松樹を枯死させたことはその営業としての汽車運転の結果であるとはいえ、社会観念上一般に認容すべきものと認められる範囲を超越したものというべきで、権利行使に関する適当な方法を行うものではないと解するを相当とする。ゆえに、原院がYの本件松樹に煙害を被らせたことは権利行使の範囲にないと判断し、過失によりこれをなしたことをもって不法行為が成立する旨を判示したのは相当である。

【確認事項】
★権利濫用論のリーディングケース(先例となる判例
本判決は、権利行使であっても、法律において認められた適当の範囲を超える場合には不法行為となりうるとしたものです、すなわち、権利行使が権利濫用にわたるときは不法行為が成立することを明らかにした判例です。もっとも、権利の行使であろうとなかろうと、不法行為の成立要件を充たす限り損害賠償責任が生ずることは明らかであるので、現在においては権利濫用論を持ち出す必要はないとする見解が有力です。

★受忍限度論の先駆
受忍限度論とは、騒音・ばい煙などの公害・生活妨害といった不法行為において違法性を判断する方法・基準とされているものです。すなわち、社会生活上受任するのが相当とされる限度を超えると違法な侵害として不法行為が成立するとするものです。本判決はこの受忍限度論の先駆けと言われています。

✧参考文献
潮見=道垣内編『民法判例百選Ⅰ総則・物権〔第8版〕』2事件〔長野史寛執筆〕

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