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法学 は パンのための学問 ?

一度は法学を学びながら、後に医学に転向して、文豪となったフリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)は、法学を「パンのための学問」と呼んで揶揄しました。


「パンのための学問」、すなわちそれは「法学」が、文学や哲学、数学などの純粋学問とは異なり、あくまでも生活の糧・給料(パン)を得るための手段として学ばれる学問にすぎない、崇高な価値のある学問ではないという皮肉です。

ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネ(1797-1856)もまた、法学上きわめて重要で歴史的意義をもつ法令集で教科書でもある『ローマ法大全』を「悪魔の聖書」とまで罵っています。

このように法学を志し、法学を一度は学ぶも、やがて幻滅し、辛辣な言葉を浴びせた著名人は多いのです。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)もしかりです。

こんな錚々たる方々でさえも、法学を学ぶことは苦痛でしかなかったのではないか(…と思うと、ほんの少し気持ちが楽になったりもするのです)。

そして、この錚々たる面々と一緒に並べることは大変おこがましいですが、私自身も、法学を学び始めた最初の段階での、ちょっとした(精神的な)つまづきが後々まで尾を引くことになるような気がするのです。高校を卒業した若者がいきなり「私権の享有は出生に始まる」とか「権利能力」とは云々の講義が始まり、「A説はこうでB説はこうだ」じゃあ結局どうなんだというと唯一の「正しい」答えは提示されない。それどころか、そもそも「正しい」答えなんてないのではないか??

こうした授業が日々繰り返され、予習や復習に追われるなかで、ふと、自分自身が本当に法律を勉強したくて法学部に入ったのかが分からなくなったり、「つぶしがきく」くらいにしか思っていなかったことを後悔したりと、かなり後ろ向きな気持ちになってしまったりしてしまいます。

ただ、今になって、やっぱり大学時代にもう少し真面目に法律に向き合えばよかった、やっぱり法律を知っていると役に立つことが多いなあと思うのです。どんな時代、どんな社会でも……むしろ、こんな時代、こんな社会だからこそ、法律を学ぶ意味もあるようにも思えるのです。


……ということで、不勉強な私自身への反省と、学び直しの意味も込めて、法律を勉強しようと思いたちました。自分自身が本当に理解できたのかを確認するため、その記録としてブログに勉強した内容を書き留めておこうと思います。初回からかなり大風呂敷を広げましたが、お恥ずかしいかな私自身の知的能力にも限界がありまして、間違った理解をしていたり、誤記や誤植なども多々あると思います。何卒ご容赦頂ければと思います。拙くて緩い法律系ブログですが、参考程度に、もしかしたら誰かのお役にほんの少しでも立てるかもしれないと思いながら、これから頑張って書いていきたいと思います。


なお、こちらのカテゴリーは法律一般(憲法民法・刑法など)について書き留めたものです。他のカテゴリーでは自身が取得した法律系資格(行政書士宅建士など)やこれから取得したい法律系資格(司法書士、社労士など)についても書いていこうと思います。

✧この記事を作成するにあたり参考にした文献・おススメしたい文献✧
中山竜一『ヒューマニティーズ 法学』(岩波書店,2009)

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